死にたい気分のときに

死にたい気分のときに更新するブログです。

死んだら悪霊になるかもしれないと思ったがそれでも構わないような気がする

私は統合失調症を発症するまで、死んだら無になると思っていました。十代のころは今よりも死にたい気持ちが強く、実際に自殺未遂もしました。失敗したのはベルトが切れたからで、私がもっと丈夫なベルト、あるいはきちんとしたロープなんかを使っていたら、私は今こうしてブログを書いていることもないでしょう。

自殺未遂をして、命の尊さを学んだなんてことは私にはありませんでした。今でもあのとき死んでいたら良かったのにと思うことはあります。それでも死なないのは、未遂をして死の恐怖を味わったからもしれません。

あのときヤエル・ナイムのCDをかけながら、私はベッドの支柱にベルトで首を吊りました。非定型縊死と呼ばれる自殺方法です。私は苦しさは感じず、ただ音がうるさいとだけ感じながら気絶しました。音楽がうるさいというよりも、自分の中の音がうるさいというような変な感覚でした。それから気がつくと私は床に倒れていました。倒れたときに頭を切ったらしく、薄暗い電気スタンドが照らす床に、ぽたぽたと黒いものが垂れていました。明かりをつけ、鏡を見に行くと、顔の三分の一くらいが血まみれでした。

失敗した私は情けなさで泣きました。もういちど首を吊りなおそうとは思えませんでした。泣きながら血を拭き、頭にタオルを巻いて寝て、翌日には傷も塞がっていたので私はアルバイト先に出勤しました。

そして死にたい気持ちを抱えながら、本を読んだり映画を見たり、アニメを見たり、絵を描いたり、文章を書いたりしながら働き、会社がつぶれ、私は実家に戻りニート生活を開始します。

ニート期間中はとても楽しかったです。小説はひとつも仕上げることができませんでしたが、絵をのびのびと描くことができました。

ニート期間中に描いたバーティミアスナサニエルの二次創作。

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バーティミアス

それからいろいろあって二十代の終わりに私は統合失調症を発症しました。発症した直後は妄想の世界に入り込んでいて、私は全財産(三万円)くらいを持って、東京に向かいました。エルサレムへ行けという声を聞き、かつてのバイト先の近くにあった聖ルカ礼拝堂に忍び込んで三日間過ごしました。三日目の夜に唐突に地面が強く突き上げられ、聖堂全体が壊れるかと思うほど強い揺れに襲われ(一瞬のことでしたが)警備員らしきひとがびっくりしたように出てきました。私は神が私がここにいることを怒っているのだと思い、礼拝堂から出ました。

そのあと私はふらふらしていると皇居に行き着き、そうだ天皇陛下の代わりに私が祈らなければならないんだと強く思い、天皇陛下に会わせてくれと皇居の警備員にお願いしました。もちろんだめでした。住所と名前を言い、警備員さんは「悪いことしてないから捕まえるわけにもいかないしな……」ととても困っていました。

ここからの記憶はとても曖昧です。

うろ覚え一応時系列・統合失調症彷徨

①私は銀座辺りでナンパされ、一回目はかわし二回目はなんとなく優しそうなひとだったからどこかに泊まれるホテルはないかと聞き、ふたりでカラオケに行った。何回もヤられそうになるのを回避しつつ、朝を迎える。

②私はどこか広い公園のようなところを歩いている。

③私は第一ホテルというところに泊まる。部屋の鍵の開け方が分からずフロントマンに聞く。フロントマンは丁寧に私の部屋を開けてくれる。そのとき私はこういう入り方をしちゃいけないんだと急に怖くなる。これは悪魔が使うやり方だ。自分では部屋に入れず、誰かに招いてもらうしか悪魔は入り込めない(吸血鬼だったかもしれない。たぶん海外のファンタジー小説から仕入れた知識による妄想だと思われる)

④私は部屋にあったメモに「私がこういう入り方をして不安に思っているひともいるかと思われるかもしれませんが、私は愛のために祈りをささげる存在なのです。神様は分かってくださっているとおもいます」と書き、窓を開け、空にメモを向けた。窓の外から兵隊の足音のようなものが聞こえ、私は分かってくれたんだと嬉しくなる。

⑤ホテルを出た私は夜になるまでぼんやりと歩き続け、夜に新宿駅に辿り着き、帰ろうと思いながら帰る線とはぜんぜん違う小田急に乗り込み、藤沢で降りて夜を明かす。朝になると空から私を殺そうとしている存在がいるという妄想に飲み込まれ、木々が生い茂るところを求めてさまよい、とある寺に辿り着き、そこのトイレで私は動けなくなる。

⑥お寺のひとに救急車と警察を呼ばれ、私は病院に行く。病院で点滴を打たれるも、毒薬を打たれているような気がしてきて自分で引き抜き、腕から血がたらたら落ちている状態で、「外で死にたい」と思いながら病室からロビーに出たところで捕獲され、ちょっとした騒ぎになる。

⑦警察に嘘をつきまくる。名前とか住所とか。最終的に警察署から父に連絡が行き、父が迎えにくる。帰りの車の中で、私は東京が壊滅したのだと思い、ちょっと涙ぐむ。

⑧家に帰ってから部屋中の部屋の明かりをつけ、西向きの部屋に入ったとき、時限爆弾のタイマーのような音を聞く。私が部屋のドアを開けなければ、この部屋は爆破されていたと思い込む。

⑨家に帰ってからもあちこちをふらふらさまよい、公園で「プーチン大統領って暗殺されるのー?」という声を聞く。「し、知らないよ!」と私は叫ぶ。

⑩それから精神病院に行くまで妄想の世界で過ごし、徘徊したり叫んだり大変だった。

そして町唯一の精神病院へ

精神病院に行き、薬をもらうと妄想はだいぶおさまってきました。その代わりにラップ音と隣人(知的障害あり)の不可解な行動に悩まされるようになりました。隣人は懐中電灯を私の部屋に向け、私の思考に合わせて懐中電灯の光を部屋の右と左に振り分けます。あたかもイエスとノーのように……。

隣人がそういうことをしなくなると、かわりに左右の足が思考に合わせて痙攣するようになりました。それからラップ音も加わりました。ただ、ラップ音だけはイエスかノーかはっきりしません。これを書いている今もベランダの柵が鳴りました。何か霊的なことを考えているとパシッと鳴ることが多いです。これも統合失調症の関係妄想だと言えば、それで説明がつくのかもしれませんが。

私は霊というものに、子どものころは興味を持っていました。しかし大人になると大げさに怖がらせようとするホラーというジャンルに嫌気がさし、そういうものは見なくなりました。霊なんていない、と思いながら過ごしていました。しかし統合失調症を発症し、(それが病気であっても)不思議な体験をしたことによって、魂というか人の念みたいなものは死んでも残るんじゃないかと思うようになりました。

私は死んだら負の感情ばかりが残ってしまいそうです。自殺したら何回もその死の瞬間を繰り返す霊になるかもしれません。それでも現実の世界で生きる苦しみよりかは良いもののような気がしています。発狂しているあいだ、私は結構幸せでした。はたから見てどんなに狂っていても、恐ろし気でも、自分の思うがままに存在するということは、とても気分の良いものなのかもしれません。

私はいま、もう一回入院して、いまやっている仕事とか人間関係とかをリセットしたいと思ってしまいます。どんなところに行っても、私はそう思うのでしょう。じっさい、今私がやっている仕事は楽なものだと思いますし、周囲の人間も良い人ばかりです。でも私はその健全さと自分の持つ不健全な暗い部分の落差に耐えきれないのです。

最後に報告ですが、教習所は無事卒業しました。免許センターでの学科試験は昨日行くはずでしたが寝坊して来週になりました。早く免許の呪縛から解き放たれたいです。

今日、教習所の卒業検定に落ちた

私は教習所に行きたくなかった 身分証はマイナンバーカードで良いと思っていた

私は5月の終わりから、周囲のすすめにより教習所に通いはじめました。入所時の適性検査で、どこからともなく声が聞こえてくるときがあるという項目に丸をつけると、受付のお姉さんに「声が聞こえるという項目に丸がついてますが、間違いではありませんか?」と聞かれました。「間違いありません」と私は返しました。そのときに適正なし、という烙印を押してもらえたら、私はこの憂鬱を抱えることなく、のびのびと精神病ライフを送ることができたでしょう。しかし、恐ろしいことに私は適性検査をすり抜けてしまったのです。こうして私の教習生としての生活がはじまりました。

回帰性1・気分がとても変わりやすい

待合室で流れるオルゴールアレンジのジブリの曲と、あらゆる塵芥を取り除いたような不自然に澄んだ「町の歌」を聞きながら、ここは私のような死にたい願望を持つ人間が来るところではないと強く思いました。

私が選んだコースは、マニュアル車普通自動車免許です。実技の一時間目は心臓が口から飛び出る思いで、必死にクラッチを踏み、アクセルを踏み、ブレーキを踏み、左手でシフトレバーをがちゃがちゃいわせ、ぐるぐるハンドルを回し、ゆっくりと教習所のコースを走りました。時間が進むにつれ、覚えなければならないことが増え、私の頭の中はぐちゃぐちゃになりました。シフトチェンジするときには車体ががくがく揺れ、エンストは頻発し、左折時に対向車線にはみ出し、「これは一発アウトだからね」と丁寧な口調で怒られ、S字で抜けられなくなり、クランクでポールにぶつかるし、坂道は下がるしで、仮免試験は1回落ちて2回目に合格しました。

仮免試験に1回目に落ちたとき(クランクのポールに左前のライト辺りをぶつけた)、私はオートマ車へ変更するか迷いましたが、私の抱える根本的な問題は、マニュアル車かオートマ者かということではないと結論にいたり、そもそもあの1~2トンに近い鉄の塊は私のようなガチめなメンヘラが操るようには出来ていないのだ、と思うようになりました。私は教習所に通うこと自体をやめようか考えましたが、とりあえず2回目の試験は受けてみることに決めました。そして2回目の試験で私はS字で何回も切り返し(と思ったが実際は2回だけだった)、また落ちたと思い、もうやめようと受付らへんをちらちらと見ながら退所の意を告げるタイミングを見計らっていると、なんとなく違和感を覚えました。結果発表が前よりも遅いのです。ひょっとして受かっている? と思っていたところ、私(たち)の検定を受け持った教官が「ぎりぎり合格」とはっきり言いました。えっ合格? こんなんで路上に出て良いのかと思いながら、私は6月の終わりに路上デビューしました。学科試験はすんなりと合格しました。「shinitaikibunさん、1問だけ間違いだったよ。49点!勉強したんだね。えらい」みたいなことを笑顔で言われ、私はその教官のことを好きになりそうでした。

運転が安定しない

私が住んでいるところは、高校卒業と同時にほとんどの人間が免許を取るような田舎です。一家に1台ではなく、一人1台が車を持つような地域です。そんな土地柄で育った私でしたが、高校中退と同時に上京し、地元に帰ってきたときには精神状態も懐事情も悪かったということもあり、30才を過ぎても車の免許を取らずにいました。もともと、自分が運転に向いているタイプとは思えませんでしたが、教習所に通いはじめるようになり、その思いは確信へと変わりました。私は運動神経は悪くはなかったと思います。小・中学校と運動部に所属し、長距離走では50人中、5位とか3位、遅くても10位以内には入っていました(メンヘラになる前、未来が明るい希望で満ちていたころのことです)。しかし今の私は弱いスキゾフレニア患者で、症状が悪化すれば免許剥奪の可能性も十分ありえ、発症前よりも注意力や記憶力、判断力などが低下していると実感しています。私はとても罪な気持ちで路上を走りました。免許取ってどうするの? こんな人間がドライブとか楽しむの? 移動手段は徒歩と電車で間に合っていて、その手段は車を自分で運転するよりも安全で周囲に迷惑もかけません(ときどきふらふらと道路に出てたりしますが)。私は、車の免許を取ったら自殺の手段が1つ増えるのだから頑張ろうと、後ろ向きな理由で頑張りました。

路上に出て何時間か乗っても、エンストで青信号を1回分潰してぼんやりと悲しくなったり、サードギアで坂道発進しようとしてやんわりとしかし強めに「ギアが違うんでねぇんかい?」と言われたり、「左折膨らまないで!」と言われたり、「歩行者いるよ」と教官ブレーキが発動したり、山道のカーブでガードレールに突っ込みそうになって横からハンドルをぐいっと回されたり、とにかく何事もなかった時間はありません。しかしなぜか判子は毎回押され、気がつけば卒業検定の日になっていました。効果測定2は3問落としましたが、合格できました。

人形の夢と目覚め

今日はまず、朝の4時ごろお腹が痛くなって目覚めました。トイレに駆け込み、お腹の中のものを出し切ったあと、私は布団の中で最悪だ……と思いました。それから1時間ほど、ケッキョ・キョキョキョクというホトトギスの鳴き声を聞いていました。それから5時頃眠りにつき、7時のアラームが鳴って、2回スヌーズボタンを押し、7時20分に無理やり目を覚まし、着替え、歯を磨きました。教習所の送迎バスが来るのは7時45分です。ものすごい勢いで支度をし、なんとか時間に遅れることなく、バスに乗り込みました。まだお腹が痛いような気がしましたが、しばらく我慢していると痛みは消えました。お腹を下すほど緊張していたのでしょうか? 分かりません。緊張よりも運転することへの嫌悪のほうが強かったように思います。

方向転換で動けなくなった

今日、検定を受けるのは私と大学生くらいの男の子だけでした。最初に彼が受け、次に私が受けました。路上はエンストもせず、セカンド発進もせず、誰かを轢きそうになることもなく、無事に終わりました。路上検定だけなら、私は合格していたかもしれません。しかし試験は路上だけでは終わりません。次に待ち構えているのは教習所内のコースにある方向転換です。私の通っている教習所では卒業検定では縦列駐車か方向転換、どちらかを選ぶようになっていました。もちろん、どちらを選ぶかは機械的に決められ、私の意思を挟む余地はありません。検定がはじまる前に、あなたは縦列駐車、あなたは方向転換と告げられます。私は不安でした。縦列駐車ならポールの本数と位置が頭に入っています。しかし方向転換は練習回数が少なく、しかも右と左両方を練習するため、ポールの位置や窓の風景などがごちゃまぜになっていました。そして案の定、私は左バックの方向転換で失敗します。最初はバックしていたら右側の後輪が縁石にぶつかりました。それだけならまだ救いはあったようですが、切り返して、今度は左後輪が縁石にぶつかりました。前に進もうとするとすぐに右前輪が縁石にぶつかりました。パニックになった私は左全開にハンドルを切って、どうにかバックしようとしましたが、また左後輪が縁石にぶつかりました。私は前に車を出しました。縁石にぶつかります。後ろにバックします。縁石にぶつかります。何回かそれを繰り返したあと、「今日は、戻ろうか」と教官に言われ、私は駐車場に車を戻しました。結果はもちろん不合格。私と一緒に受けた大学生くらいの男の子は受かったと思います。やはり私は実技に1回で合格することはできない星のもとに生まれたようです。

運転免許より精神安定剤が欲しい

私は方向転換をあと1時間で習得できるのでしょうか? できない気がします。もしかしたら、神様が私に運転するなという警告を出しているのかもしれません。次の検定は1週間後です。もうやめたいです。教習所だけでなく、人生もやめたいです。このあいだとても死にたくなって、22時頃、彼氏に死にたいとメッセージを送りました。朝の4時頃に彼から大丈夫?と返信が来ていましたが、私は爆睡していました。7時に目覚め、寝たら大丈夫になったと返しました。本当のところは、今もずっと死にたいです。しかしどうにか仕事もできているし、こうしてブログも書けています。死にたい気分が最高潮のときはブログなんて書けませんでしたから、良くはなっているようです。しかし教習所には行きたくない。教官が怖いということはなく、みんな優しいのですが、私は運転したくないのです。するべきではないとも感じています。主治医がダメと言ってくれたら楽なのですが、「shinitaikibunさんは免許取れるよ。取れないのは、shinitaikibunさんが閉鎖病棟で見た、自我を失った患者さんたちくらいだよ」と言われてしまいました。

免許なんていらないから、楽に死ねる薬が欲しいです。

また行けなかった

用事をすっぽかしてお昼過ぎまで寝てた

昨日の夜は2時まで眠れませんでした。土曜日は14時からいつも予定が入っているのですが、行けない頻度が高い。向こうもさすがに嫌気がさしていると思います。すみません。生きていてすみません。死にたい。ああ、死んでしまいたい。

睡眠薬飲んでもすぐに効かないのがとても辛いです。しかしすぐに効く日もあるのです。不思議。

眠ったらもう二度と目覚めたくない

皆さんは朝、すっきり目覚められますか? 私はいつまでたっても布団の中から出られません。アラームが鳴ってもスヌーズにして夢の中に戻ります。そしてまた10分後にアラームが鳴って、スヌーズにして、夢の中でうふふふと笑い、アラームが鳴り、スヌーズにして、夢の中でラララと歌い、アラームが鳴って……その繰り返しです。仕事の日以外は午前中に起きることはめったにありません。今日はとりわけ眠気が酷く、調子が悪いから行けないと連絡して爆睡。きちんと起きたのは14時でした。もういろいろ無理ですね。人間には体内時計があり、夜がきたら眠くなり、朝になったら目が覚めるというように出来ているらしいのですが、私の体内時計は完全に壊れています。こんな壊れた体内時計を持ったまま生きるのは辛いことです。仕事のときも午前中は半分夢の中のようなふわふわした感覚で過ごしています。

煙草を買いにスーパーへ

午後の予定がぽっかり空いてしまったので、スーパーへ煙草を買いに行きました。煙草を吸うと、大地の声が聞こえるのです。だいたいはしねしねしねしねしねしねと聞こえるのですが、たまに生きろ、と聞こえます。生きろ、という声が聞こえると、決まって「まだ言うか人間の指図は受けぬ」、というもののけ姫のあのシーンが強制的に再生されます。ネットにちらほらいる統合失調症だと思われるかたの文章にあるように、電波攻撃されているような感覚です。誰かこの電波を止めてくれ!

私の主治医はきっぱりと、あなたの頭のバグですと言ってくださいました。そのおかげで、「そっかあ、世界が変わったんじゃなくて、私の脳内がおかしくなっただけなのかあ」と思えるようになりました。

私はいろんなところがバグっているようです。規則正しい生活を取り戻すよりも、死んでしまいたい気持ちが強いです。スーパーへ行く途中、少し大きな橋があるのですが、何もかもがダメになったらここから飛び降りようと思っています。ではでは、皆さん、血反吐を吐きながら、生きられるまで生きましょう。

どうして日本では安楽死が認められないのか、誰か教えて

安楽死とは

助かる見込みのない病人を、本人の希望に従って、苦痛の少ない方法で死に至らせること。ユータナジー
Oxford Languagesの定義

日本で安楽死できないかな、って色々調べた結果、結論から言うと、私みたいな精神障碍者が日本で安楽死できる見込みはほとんどありません。私は精神障碍者手帳3級を持っている女です。病名は統合失調症です。今はジプレキサの副作用で10キロ太り、着る服がなくて毎日悩んでます。死にたい気持ちが湧いてくるたびに安楽死や自殺の方法を調べてます。いちおうアルバイトをして、毎月70,000円くらい稼いでいます。もちろん実家住みです。自立なんかできやしません。もう早く死んでしまいたいのですが、恋人がいるので、どうにか思いとどまっているところです。彼のことは好きですが、彼は私のことをあまり好きではない気がしています。目の前でリストカットしてやりたいです。

安楽死の種類

安楽死には2種類あって、積極的安楽死と消極的安楽死があります。

積極的安楽死とは、医師が致死性の薬物の服用をさせたり投与することにより、患者を死に至らせる行為です。消極的安楽死とは、医師が治療を開始しない、または中止することによって患者を死に至らせる行為です。

積極的安楽死が認められている国

消極的安楽死が認められている国

日本など

積極的安楽死が認められている国のうち、精神疾患による安楽死が認められている国

ベルギー。条件は厳しいが可能です。実例もあります。

オランダ。条件は厳しいが可能です。実例もあります。

カナダ。今のところ認められていないが、2年後に認められる可能性があります。

とりあえず早く死にたい

幻聴も自殺を進めてくるし、早く死にたいです。朝鮮人を殺せとか、物騒なことばかり言ってきます。精神的苦痛は自分の感覚ではかなりありますが、客観的に見たら軽いほうなんだと思います。明日も仕事だ。乗り切れるかな。私の住んでいるところは田舎なので、電車に飛び込んだらかなり目立ちます。目立つのはあまり好きではないので、首吊りか硫化水素あたりが現実的かなとは思っています。ただ、首吊りは以前に失敗したことがあるので、また失敗しそうで嫌だなと思います。私は苦しみたくないのです。すっきりさっぱり手っ取り早く死ねたらと思っています。現在のテクノロジーではそれが可能なのに、倫理的問題でそれに手を出すことができないということが悲しいです。以前、日本国民のほとんどが安楽死に賛成だという記事をどこかで読みました。それが本当なら、政治家さん、早く、積極的安楽死を合法にしてください。いつでも簡単に死ねるということが、今、絶望を抱えている人間には必要なのです。どうかひとつ、よろしく頼みますよ。よろよろよろよろよろよろ。