死にたい気分のときに

死にたい気分のときに更新するブログです。

今日、教習所の卒業検定に落ちた

私は教習所に行きたくなかった 身分証はマイナンバーカードで良いと思っていた

私は5月の終わりから、周囲のすすめにより教習所に通いはじめました。入所時の適性検査で、どこからともなく声が聞こえてくるときがあるという項目に丸をつけると、受付のお姉さんに「声が聞こえるという項目に丸がついてますが、間違いではありませんか?」と聞かれました。「間違いありません」と私は返しました。そのときに適正なし、という烙印を押してもらえたら、私はこの憂鬱を抱えることなく、のびのびと精神病ライフを送ることができたでしょう。しかし、恐ろしいことに私は適性検査をすり抜けてしまったのです。こうして私の教習生としての生活がはじまりました。

回帰性1・気分がとても変わりやすい

待合室で流れるオルゴールアレンジのジブリの曲と、あらゆる塵芥を取り除いたような不自然に澄んだ「町の歌」を聞きながら、ここは私のような死にたい願望を持つ人間が来るところではないと強く思いました。

私が選んだコースは、マニュアル車普通自動車免許です。実技の一時間目は心臓が口から飛び出る思いで、必死にクラッチを踏み、アクセルを踏み、ブレーキを踏み、左手でシフトレバーをがちゃがちゃいわせ、ぐるぐるハンドルを回し、ゆっくりと教習所のコースを走りました。時間が進むにつれ、覚えなければならないことが増え、私の頭の中はぐちゃぐちゃになりました。シフトチェンジするときには車体ががくがく揺れ、エンストは頻発し、左折時に対向車線にはみ出し、「これは一発アウトだからね」と丁寧な口調で怒られ、S字で抜けられなくなり、クランクでポールにぶつかるし、坂道は下がるしで、仮免試験は1回落ちて2回目に合格しました。

仮免試験に1回目に落ちたとき(クランクのポールに左前のライト辺りをぶつけた)、私はオートマ車へ変更するか迷いましたが、私の抱える根本的な問題は、マニュアル車かオートマ者かということではないと結論にいたり、そもそもあの1~2トンに近い鉄の塊は私のようなガチめなメンヘラが操るようには出来ていないのだ、と思うようになりました。私は教習所に通うこと自体をやめようか考えましたが、とりあえず2回目の試験は受けてみることに決めました。そして2回目の試験で私はS字で何回も切り返し(と思ったが実際は2回だけだった)、また落ちたと思い、もうやめようと受付らへんをちらちらと見ながら退所の意を告げるタイミングを見計らっていると、なんとなく違和感を覚えました。結果発表が前よりも遅いのです。ひょっとして受かっている? と思っていたところ、私(たち)の検定を受け持った教官が「ぎりぎり合格」とはっきり言いました。えっ合格? こんなんで路上に出て良いのかと思いながら、私は6月の終わりに路上デビューしました。学科試験はすんなりと合格しました。「shinitaikibunさん、1問だけ間違いだったよ。49点!勉強したんだね。えらい」みたいなことを笑顔で言われ、私はその教官のことを好きになりそうでした。

運転が安定しない

私が住んでいるところは、高校卒業と同時にほとんどの人間が免許を取るような田舎です。一家に1台ではなく、一人1台が車を持つような地域です。そんな土地柄で育った私でしたが、高校中退と同時に上京し、地元に帰ってきたときには精神状態も懐事情も悪かったということもあり、30才を過ぎても車の免許を取らずにいました。もともと、自分が運転に向いているタイプとは思えませんでしたが、教習所に通いはじめるようになり、その思いは確信へと変わりました。私は運動神経は悪くはなかったと思います。小・中学校と運動部に所属し、長距離走では50人中、5位とか3位、遅くても10位以内には入っていました(メンヘラになる前、未来が明るい希望で満ちていたころのことです)。しかし今の私は弱いスキゾフレニア患者で、症状が悪化すれば免許剥奪の可能性も十分ありえ、発症前よりも注意力や記憶力、判断力などが低下していると実感しています。私はとても罪な気持ちで路上を走りました。免許取ってどうするの? こんな人間がドライブとか楽しむの? 移動手段は徒歩と電車で間に合っていて、その手段は車を自分で運転するよりも安全で周囲に迷惑もかけません(ときどきふらふらと道路に出てたりしますが)。私は、車の免許を取ったら自殺の手段が1つ増えるのだから頑張ろうと、後ろ向きな理由で頑張りました。

路上に出て何時間か乗っても、エンストで青信号を1回分潰してぼんやりと悲しくなったり、サードギアで坂道発進しようとしてやんわりとしかし強めに「ギアが違うんでねぇんかい?」と言われたり、「左折膨らまないで!」と言われたり、「歩行者いるよ」と教官ブレーキが発動したり、山道のカーブでガードレールに突っ込みそうになって横からハンドルをぐいっと回されたり、とにかく何事もなかった時間はありません。しかしなぜか判子は毎回押され、気がつけば卒業検定の日になっていました。効果測定2は3問落としましたが、合格できました。

人形の夢と目覚め

今日はまず、朝の4時ごろお腹が痛くなって目覚めました。トイレに駆け込み、お腹の中のものを出し切ったあと、私は布団の中で最悪だ……と思いました。それから1時間ほど、ケッキョ・キョキョキョクというホトトギスの鳴き声を聞いていました。それから5時頃眠りにつき、7時のアラームが鳴って、2回スヌーズボタンを押し、7時20分に無理やり目を覚まし、着替え、歯を磨きました。教習所の送迎バスが来るのは7時45分です。ものすごい勢いで支度をし、なんとか時間に遅れることなく、バスに乗り込みました。まだお腹が痛いような気がしましたが、しばらく我慢していると痛みは消えました。お腹を下すほど緊張していたのでしょうか? 分かりません。緊張よりも運転することへの嫌悪のほうが強かったように思います。

方向転換で動けなくなった

今日、検定を受けるのは私と大学生くらいの男の子だけでした。最初に彼が受け、次に私が受けました。路上はエンストもせず、セカンド発進もせず、誰かを轢きそうになることもなく、無事に終わりました。路上検定だけなら、私は合格していたかもしれません。しかし試験は路上だけでは終わりません。次に待ち構えているのは教習所内のコースにある方向転換です。私の通っている教習所では卒業検定では縦列駐車か方向転換、どちらかを選ぶようになっていました。もちろん、どちらを選ぶかは機械的に決められ、私の意思を挟む余地はありません。検定がはじまる前に、あなたは縦列駐車、あなたは方向転換と告げられます。私は不安でした。縦列駐車ならポールの本数と位置が頭に入っています。しかし方向転換は練習回数が少なく、しかも右と左両方を練習するため、ポールの位置や窓の風景などがごちゃまぜになっていました。そして案の定、私は左バックの方向転換で失敗します。最初はバックしていたら右側の後輪が縁石にぶつかりました。それだけならまだ救いはあったようですが、切り返して、今度は左後輪が縁石にぶつかりました。前に進もうとするとすぐに右前輪が縁石にぶつかりました。パニックになった私は左全開にハンドルを切って、どうにかバックしようとしましたが、また左後輪が縁石にぶつかりました。私は前に車を出しました。縁石にぶつかります。後ろにバックします。縁石にぶつかります。何回かそれを繰り返したあと、「今日は、戻ろうか」と教官に言われ、私は駐車場に車を戻しました。結果はもちろん不合格。私と一緒に受けた大学生くらいの男の子は受かったと思います。やはり私は実技に1回で合格することはできない星のもとに生まれたようです。

運転免許より精神安定剤が欲しい

私は方向転換をあと1時間で習得できるのでしょうか? できない気がします。もしかしたら、神様が私に運転するなという警告を出しているのかもしれません。次の検定は1週間後です。もうやめたいです。教習所だけでなく、人生もやめたいです。このあいだとても死にたくなって、22時頃、彼氏に死にたいとメッセージを送りました。朝の4時頃に彼から大丈夫?と返信が来ていましたが、私は爆睡していました。7時に目覚め、寝たら大丈夫になったと返しました。本当のところは、今もずっと死にたいです。しかしどうにか仕事もできているし、こうしてブログも書けています。死にたい気分が最高潮のときはブログなんて書けませんでしたから、良くはなっているようです。しかし教習所には行きたくない。教官が怖いということはなく、みんな優しいのですが、私は運転したくないのです。するべきではないとも感じています。主治医がダメと言ってくれたら楽なのですが、「shinitaikibunさんは免許取れるよ。取れないのは、shinitaikibunさんが閉鎖病棟で見た、自我を失った患者さんたちくらいだよ」と言われてしまいました。

免許なんていらないから、楽に死ねる薬が欲しいです。